ある中年看護助手と保護犬の婚活生活

我が家に来たときから直腸末期癌の高齢保護犬と、ずーっと派遣で事務職と医療事務、看護助手をやっていたが正職員の看護助手になって、今度は無謀にも45歳で婚活を始めた話。

哀しい知らせがきた

今日は休みなので、つい20分前まで眠っていた。
しかし、LINEで起きてしまい、何だかやり切らなくてこれを書いている。

とても私的な話(まあ、blogなんて全て私的だけど)なので、暇な人だけお付き合い願いたい。


私が今の家に引っ越してきた頃、祖母と小犬である先代犬と住んでいた。
そもそも小犬を先に手配され、渋々私がこの家に着たのである。

何故渋々かというと、とにかくうちの祖母は人としてヤバい人だったからだ。
この人、よく今まで刺されずに生きてきたな…と思うくらい人の傷つくことを躊躇いなく言う。
さらに、大正生まれなので仕方ないが、とにかく現代社会に逆行する思考の持ち主で、それをまた口にして人を傷つける。


例を上げると、私の父が脳内出血で倒れて半身不随になった時、上手く体が動かせない&話せないのを見て「気持ち悪い」と言ったり、妹家族が初孫を見せにわざわざ大阪から来てくれたときに「(うちが)お金けかるから来なくていいよ」とか、平気で言うのだ。

そして一緒に住んでいる私は、もう細かいことは脳内から消去してしまったが、毎日、サイコさんのように「帰ったら死んでないかな」と思いながら帰宅していました…

多分、犬がいなかったら殺人事件を起こしていた。

そんな毎日だったが、そんな二人が住む家なので誰も訪ねてこないし、私と祖母は用事ある以外喋ることもなかった。

しかしそんなに中、時々やってくる男性がいた。
仮にYさんとしよう。
彼は昔、祖父母が商売をしている頃に住み込みで働いていた人で、長い間面倒みてくれた、仲人を祖父母がしてくれたと、今でも我が家を気にかけてくれる、東京で唯一の人だ。

Yさんは年金暮らしだが、かつては長い間糖尿病の奥さんの世話をして、自分の工務店を切り盛りし、物凄い苦労人だった小柄でにこやかな人だった。
見た目はスターウォーズヨーダで、その事で祖父が死にかけている病室で私ら身内で「ヨーダに似てる!」と大爆発して看護師さんに怒られた思い出もある…
(母方の身内は皆底抜けに明るく、深刻な場面でも仕方ない!と割り切る性質なのだ。不謹慎なわけじゃないよ!)

つまり、祖父が倒れた時からずーっと世話になっていて、祖母が残されてからも気にかけてくれる唯一の存在なのだ。
そして、私に対しても気を使ってくれて、いつまでも独身なのを大変心配してくれた…

いつも家に来るときは、最寄り駅のコージーコーナーで二人しかいない家に6個くらいのケーキを買って来てくれる。
そして面倒臭そうな祖母の相手をしてくれ(もちろん私が間に入っている)、何か困ったことあれば電話してね、と言って去っていった。

祖母が施設に入ってからも、マメに来てくれて時々私と施設でばったり会うこともあった。
友達も身内もいない祖母に会いに来るのは、私とYさん、時々娘たち(私の母や叔母)だけである。

施設に通う私に、何かあったら電話してとか気を使ってくれていたが、恐らく祖母と二人での密室で、ずいぶん嫌な事も言われただろう。
それでもYさんは最期まで来てくれていた。

うちの身内では、ヨーダは来世めっちゃ幸せになってくれ…とことあるごとに願っていたが、祖母が亡くなってしばらくすると、本人が癌になった。

ここからは後で又聞きの話なので、よく解らないが、不調を家族(娘と息子がいる)に訴えることもなく、解った時には足の骨が溶けている状態だったらしい。
そして腎臓がダメになっていて、人工透析が必要になりそのまま入院した。
癌(どこが原発か解らない状態だった)と透析で、病院から出られなくなり、それでも割と元気で、娘が雑誌や食べ物を持って行くと喜んでいたようだ。

私も一度だけ、お見舞いに行ったが元気だった。
え、これで末期なの?毎日透析してるの?というくらい、普通だった。
その時も「花嫁姿見せてよ」と言われ、もう40越えてるから無理よ!と笑っていたのが、結局最後になった。

それからまもなく、コロナが流行だし面会は一切出来なくなった。
家族も2月から会えなかったようで、死に際にも間に合わなかったと聞いた。

本当に、コロナさえなければ…
私もまた会いに行けたのに。
行くつもりだったのに。
葬儀さえ行けない。


実は、最後のお見舞いに行った時に病棟で働く看護助手を見て、私はもう一回やろうかな…と思ってまずは手慣らしに介護初任研を取ったのだ。そして某大学病院で働くことになったのが去年の話だ。
それも伝えたかったことの一つだ。

最後にお見舞い行ったときに、枕元にゴルゴ13が置いてあったのや、いつもみたいにニコニコして私や私の家族の心配をしてくれて、ああ、この人、自分が大変でも人のことを気にかけることが出来る、本当に善人なのだなあ…と改めて思った。
だから、祖母の攻撃にも堪えられたのか…
祖父には世話になったかもしれないが、祖母には厭なことしか言われなかった(母もそう証言している)から、あんなに通ってくれなくても良かったのに…

と、休みだからと爆睡していた私に、Yさんが亡くなったというLINEが来て、長い思い出が頭を巡り、つい、書き留めておきたくなったということだ。


戦後の東北から一人出てきて、我が家で働き、その後も色んな苦労をしてきたのに、誰に対しても優しい一人の男性の人生を、少し離れた私が振り返って珍しく、少し泣けてくる不思議な体験。

どうか、彼の愛した全ての人が彼の望む幸せであるよう、私も願わずにはいられない。