ある中年看護助手と保護犬の婚活生活

我が家に来たときから直腸末期癌の高齢保護犬と、ずーっと派遣で事務職と医療事務、看護助手をやっていたが正職員の看護助手になって、今度は無謀にも45歳で婚活を始めた話。

誰も読んでいない備忘録

あと二日間で契約が切れて無職になる。

久々に3ヶ月でサヨナラという不本意な結果になってしまったが、日々の微熱と倦怠感、そしてないと言われた残業が毎日…
仕方なかったんや…と自分に言い聞かせる日々も、あと二日。

全然関係ないけど、髪洗って乾かしてしばらくすると、後ろの方が乾いてなくて「もー!」とか思うけど、それは新たにかいた汗なんだよね…更年期!

犬のことを書いてるアメブロの方に父の思い出話を先日載せた。
大したことない、二人きりで(突発的な理由で)最初で最後の旅行をした高校生の頃の話だ。

そして書いた後に思い出した。
二人きりじゃないけど、あと一回あった。日帰り旅行。真ん中の妹も一緒だった。私が小学生で妹は幼稚園とかだった気がする。
父は今の私より全然若い30代だったはず。
全然子育てに参加しない(というか家にいない)父が何故、子ども二人を連れて六甲牧場に行ったのか解らない。多分一番下の妹は赤ちゃんだった…よな?

電車の中に荷物を忘れ、バスに乗れずに坂道を延々歩き、妹はずっと泣いてる。
そんな旅行だったけど、最後に神戸牛食べた…と思う。あと、子どもながらに「お父さん大変だから妹、泣き止めよ」と思っていた…のを何となく思い出す。

何故最近、父のことを思い出すのかと思うと、多分、父がずっと一つの会社で勤め上げたことを尊敬し始めているんだろう。
バブルの忙しいけど、働けば働くほど金が貰えた時代とはいえ、家にも帰らず(愛人もいたらしいが)会社員という人生を何十年送ってきた生き様に、私は一ミリも届かない。
落ち着いて一ヶ所で仕事続けたくても、四年が限界だった私には、気の遠くなる年月。しかも辞めたら家族の生活も成り立たなくなる。そんな責任もある。

今の私は辞めたいときに辞めても、多少自分が苦しいだけで済む。仕事見つからない焦りとか、無職のときの罪悪感とか、将来への果てしない不安はあるけど、仕事を辞めてしまう。

もうこれは病気なんだ…

甘やかされた環境で生きる弊害だ。父のように生きたいわけではないけど、父のように生きれば余計なことに落ち込んだり悩んだりしなくて良かったのではないか?

こんなことばかり考えていた6月がようやく終わる。
そしてまた、いつも以上に仕事のない世の中で、仕事探しながらずっと不安を抱える毎日かわ始まるのであった…